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かつて『中世の秋』で知られるオランダの歴史家ホインジンガは『ホモ・ルーデンス』という著作の中で,「人は遊ぶ存在である」と記しました。それは子供の遊びだけではなく,あらゆる社会活動の中に,遊びに類するルールや関係性,ゲーム的な要素が存在するということを述べたものでした。
現代においてもそれは変わっていません。「遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)」である私たちは,「遊びごころ」を常に内包した存在であるわけです。年を重ね,大人と呼ばれるようになったとしても,子供の頃の原型的な体験はどこかに残っているものです。周囲を見渡すと「遊び」的な要素は多くみられます。「遊園地」「遊歩道」「遊覧船」などの言葉をみてもわかるでしょう。しかし,それらの「遊び」は,本来子供の頃に体験したものとは少し違うものなのかもしれません。
大人になると,子供の頃の「遊び」感覚は薄れていきます。いろいろな知識を持つとともに,規範も増えていきます。どうしても行動するよりまず考えてしまう,ものごとに対する好奇心もなくなる,型にはまった思考におちいる……。私たち大人はいつしか子供のようにうまく遊べなくなっていることに気づきます。
考えてみると,子供の頃は,なにも意識せずとも「遊ぶ人」でした。おそらく子供なりの規範に則っていたのでしょうが,ずっとうまく遊んでいたように思います。「遊び」の中から創造はうまれ,「遊び」を通して秩序が形成されていきました。「こどもごころ」というのは,この「遊び」という感覚と似ています。「こどもごころ」とはなにか,という定義はもちろんないのですが,こうした「遊び」の精神に共鳴する感覚であるということは言えそうです。
「こどもごころ」も「遊びごころ」と同様に,私たちの中に原型的な体験として存在しています。ただどこにしまいこんだのやらわからなくなっているだけなのかもしれません。「こどもごころ」を起動し,豊かな「遊び」の精神をを呼びさますことができたら……。「リンゴをほめてみる」そんな簡単なところから始めてみるといいと思います。意外と難しいかもしれませんが。